節分で魔物退散!!
気づいたら、1月もあと数日...
長かったような短かったような。
もうすぐ2月ということで、今回は「節分」について調べてみました。
「節分」と言えば、
「鬼は~そと!、福は~うち!」って言って、2月3日に豆まきする厄除けの行事だったような...
年の数だけ豆を食べる。(たくさん食べた記憶が…)
恵方巻も食べる♡
そんな感じで食べ物のイベントのような認識のほうが強いかもしれません(笑)
行事として毎年やっていたので、大まかには合ってるんじゃないかなと思うのですが実際はどうなんでしょうか。
2月3日とはかぎらない?
知らなかったのですが、「節分」という言葉は文字通り「季節を分ける」という意味もあるそうで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことを指すそうです。
現代では「立春の前日」のことを主に指しますが、もともとは春夏秋冬すべてに節分があるということですよね。
その中でも春は新年の始まりを表すことからだんだんと春を重視する流れになっていき、「立春の前日」のことを主に表すようになったのは室町時代や、江戸時代以降と言われています。(諸説あるようです)
その前の時代では夏・秋・冬も春と同じように豆まきをしていたんでしょうか。
それとも季節によって違うことをしていたんでしょうか。
ちょっと気になるところですが、調べるのに時間がかかりそうなので今回は「春の節分」に重きをおいて調べていきます。
また、「節分」は2月3日で固定されていると思っていたのですが、「立春」の前日なのでその年によって違うということですよね?
調べたところ、大体は2月3日だったのですが、2月4日や2月2日の年もありました。
ちなみに今年、2022年は2月3日です。
豆まきはなぜするの?
節分のメインイベントといえば、これ!
といっても過言ではない「豆まき」。
鬼のお面を付けた人に向かって豆を投げる。鬼だけじゃなく、家の中にもまく。
だいたいお父さんが鬼のお面付けてたなという記憶があるのですが、
大人になって冷静に考えると不思議な行事だなと思います。
お父さん、一家の大黒柱なのに(笑)(違う家庭もあるかもしれませんが)
でも、そうやってお父さんが鬼の役をやれるっていうのは平和な証拠なのかな、という気もします。
そもそも、なぜ豆を撒くのでしょうか?
この行事のもとになっているのが平安時代頃に行われていた「追儺(ついな)」と呼ばれる宮中行事。桃でできた弓と葦の矢を使い鬼を追い払っていたそうです。
もとは中国から伝わった悪霊を追い払う儀式。中国では戈(ほこ)と盾。
それが日本風にアレンジされ、また時代とともに少しずつ変化していったということでしょうか。
今やメインイベントの豆まきも追儺の儀式には含まれていなかったそうで、ここも時代とともに変わっていったんですね。
なぜ豆まきだったのかというと、
生活に欠かせない五穀(米、麦、ひえ、あわ、豆)の一つであったこと、
その五穀には穀霊が宿ると考えられていたこと、
また、「魔滅(まめ)」や「魔目(まめ)」という言葉の語呂合わせともいわれています。
鬼に豆(魔滅・魔目)を投げつけ、邪気を追い払い、一年の無業息災を願う。
言葉には力が宿ると言われていますが、「魔」を「滅する」。
思った以上に強めの意味が込められていたんですね。
遊び半分でやっていた豆まきがとても強力な儀式に思えてきました。
この漢字をイメージしながら豆まきしたり、豆を食べたりしたら本当に病気にならなそうだなと思ってしまうのは単純でしょうか。
ちなみに、豆は前日までに炒って使うまで神棚にお供えしておくといいそうです。
神棚がない場合は高いところに置いておけば大丈夫◎
掛け声も「鬼は外!福は内!」が一般的ですが、鬼を奉っている神社や、地名に「鬼」の字がついたり、また地域によって「鬼」の字の入った名字が多い地域とかもありますよね。そういった地域では「鬼も内」になったりしているそうです。
他にもいろいろある節分のイベント
その他で、節分と言えば「柊鰯」や「恵方巻」が思いつきます。
「柊鰯」は、焼いた鰯の臭気と煙を鬼が嫌い寄ってこないようにし、もし来たとしても柊の棘で鬼の目を刺すので中に入れないようにするという役割があるそうです。
(この逆説で匂いでおびき寄せ刺す!っていう説もあるそうです。)
毎年、これはあなたの分よっていうノルマがあって、苦い…と思いながら顔をしかめて食べていた思い出があります。
思い返してみると、こういった昔ながらの行事を子供のころはちゃんとやっていたんですね。両親に感謝です。
「恵方巻」はその年の歳徳神(歳神様)がいる方角(恵方)を向いて食べる太巻きのこと。
お願いごとをしながら、無言で一気に食べきれれば、願いが叶うという縁起物です。
具材は特に決まってはいないが、七福神にちなんで七種類がいいと言われているそうです。
今年、2022年の恵方は「北北西」です。
恵方巻は子供のころに食べた記憶がなく、大人になって食べ始めたなという印象なのですが、よくよく調べると商業的に始まったものなんですね。
大阪の方では江戸時代頃から行事の際、商売繁盛を願って太巻きを食べる文化があったそうですが、名前は恵方巻ではなく「太巻き寿司」とか「丸かぶり寿司」などと呼ばれていたそうです。
大阪の方でそういった文化があると知り、1989年に広島のコンビニで太巻きを売り出す際に付けた名前が「恵方巻」。これがきっかけとなって人気に火が付き2000年ごろには全国的に広まっていったそうです。
今ではどのスーパーでも、どのコンビニでもいろんな種類の恵方巻がたくさん売られていますよね。
節分に恵方巻は欠かせない!!という勢いで。
かなり昔からあるのかと思いきや、結構な近代に始まったイベントだったんですね。
なんというか、一つの文化が時代に合わせて変わっていくというのはこういうことなのかなと、人間の柔軟性を垣間見た気がします。
もうすぐ節分ということもあり調べてみましたが、面白い発見がいっぱいあって楽しかったです。
特に「魔滅」は衝撃的でした。(笑)
恵方巻が最近始まっていたことも。
ただ、最近始まっていたとしても、100年後に恵方巻を食べる人たちからすればこれも一つの歴史なんですよね。
そう考えるととてもおもしろいなと感じます。
今年はどんな節分を送ろうかな。