茶道をしらべて -茶の道とは-
今回は「茶道」について調べていきたいと思います。
先日あんこを食べていて、ふと...
茶道って知ってるけど知らないよな~と思い調べてみることにしました。
私の中の「茶道」の知っている知識というと、
抹茶を点てて、器をまわして飲むとか...くらい?
庭園とかがある施設に行ったときに体験(飲む)をしたことはありますが、自分で立てたことはなく、そもそも今文章を書いていて、どうして「点てる」という表現を使うんだろう?と疑問に思いました。
他のお茶(緑茶、麦茶、紅茶など)は「淹れる」を使いますよね。
抹茶だけ「点てる」。
しかも最初、「立てる」だと思ってました。。。恥ずかしや。。。
なぜ、「点てる」なのか
「点てる」という表現はさかのぼること中国・宋の時代。
「点茶」というお茶の飲み方からきているようです。
(点茶:茶を粉にして、湯をかけて撹拌して飲む方法)
宋の時代。かなり昔ですね...というか、千年くらい前?
(ウィキペディアによると宋は960年 - 1279年でした。)
深く深く探っていくと壮大な歴史を学ぶことになりそうですね。。。
それはまた別の機会に置いておいて、今回はこの歴史の部分はさくっといきます。
ざっくりいうと、明菴栄西(みょうあん えいさい/ようさい)という日本の僧侶が宋に留学し持ち帰った文化?もの?の一つ。宋より持ち帰った茶を植え、栽培し、その栽培が普及するとともに、当時すたれていた茶の文化が貴族だけでなく、武士や庶民にも広まっていったと言われているそうです。
また、著書に『喫茶養生記』という本があり、
(茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする茶の効用などを記した本)
そこで、「点る」という表現や「之を服す」という表現が使われており、そこからこの表現が広まっていったのではないかと考えられているようです。
ちらっと書きましたが、「之を服す」。
数え方の「服」もここからきている感じですね。
「お茶は養生の仙薬」という風に考えられていて、【お茶=薬】から「服」という数え方になったと言われているそうです。
他にも「点てる」には、口の細長い湯瓶で、一点に湯を注ぐという意味や、
「点」という字の少しという意味から一杯分ずつ点てる茶道もこの字を使われるようになった等々諸説あるようです。
日本の「茶道」になるまで
そうして日本へ伝わった「点茶」。
「茶礼」という茶を供する際の儀礼・作法が説かれたり、茶会で博打や飲酒などが横行したり、中国の茶器を使用した盛大な茶会が流行ったりと、その時その時、また身分の違いで様々な茶の文化が起こっていたようです。
そして紆余曲折。
足利義政の茶の師匠である村田珠光という方が茶会での博打や飲酒を禁止し、「亭主と客との精神交流を重視する茶会のあり方」を説いたそうです。
これが「わび茶」の源流。そして、今の茶道の考え方の始まりですね。
「わび茶」はその後、千利休によって安土桃山時代に完成したそうです。
千利休。。
ここでようやく私でも茶道と言ったらこの人!という名前が出てきました。(笑)
日本に伝わってから、今の様式になるまで永い年月、そしてこの「茶道」に対してのたくさんの人の思いが積み重なっているのかと思うと感慨深いものがありますね。
ちょっと茶道とは関係ない話なのですが、千利休の幼名は田中与四郎(與四郎)というそうです。千利休って田中さんだったんですね。日本の多い苗字トップ3に入る(のかな?)苗字ですが、何百年も前の歴史が近くに感じた瞬間でした。(笑)
「茶道」の奥深さ
話が脱線しましたが、「茶道」。
「茶の道」って書きますよね。
「茶の道」ってどういうことなんでしょうか。
「道」というとすごく歴史ある堅いかしこまったイメージですが...
そして、お茶会とかで飲む体験をしたことはありますが、それを全部茶道と言っていいのか、それともその一部を茶道というのか...
歴史はざっくり調べましたがわからないことだらけですね(笑)
ちなみに、英語だと「tea ceremony」と書くそうです。(※ceremony→式、儀式)
「儀式」ということは、お茶会であれば、その会全体が茶道になるのかなと少しイメージができました。
実際「茶道」とは、
心を落ち着かせながらお茶を点てて、客人に振る舞う儀式全体のことを指します。
おもてなしの精神、亭主と客人との精神的な交流、そこから生まれる周りの環境、使っている道具、お茶会の時間の流れなども含め、すべてを総称して「茶道」というそうです。
調べた中には「総合芸術」という言葉を使っている説明もありました。
一期一会の意味を考え、客人のために最高のおもてなしを。
そして客人も亭主のその思いに応え、一緒に作り上げていく。
その空間。そういった時間。
互いを想い、一緒に作り上げていく。まさに「総合芸術」ですね。
そう考えると、儚く、とともに美しさを感じます。
道具にこだわることも、
茶室のしつらえにこだわることも、
作法の丁寧さ・美しさも、
全てが客人へのおもてなし、敬いの心からきているんですね。
現代まですたれずに続いているのは、ちゃんと理由があるんだと改めて思いました。
「四規七則」
茶道の心得として「四規七則」というのがあるそうです。
「四規」は「和敬清寂」の精神。
和・・・互いが心を開いて和を結ぶこと。仲良くすること。
敬・・・人だけでなく、言葉、道具、空間、時間などすべてに敬う気持ちをもつこと。
清・・・清らかということ。目に見えるものだけでなく、心の中も清らかであること。
寂・・・何事にも乱されない、動じない心を持つこと。また、分け隔てなく受け入れる心の広さをもつこと。
「七則」は客人をもてなすときの心構え。
一 茶は服のよきように点て(心を込めよう)
二 炭は湯の沸くように置き(本質を見極めよう)
三 夏は涼しく冬暖かに(季節感を大事にしよう)
四 花は野にあるように生け(命を尊び敬う心をもとう)
五 刻限は早めに(心にゆとりをもとう)
六 降らずとも傘の用意(柔軟な心をもとう)
七 相客に心せよ(お互いに尊重し合おう)
どれもが、とても尊い精神ですよね。
人としての在り方が詰まっていると感じました。
今の私が、この「四規七則」をどれだけできているか...
考えるとすごく恥ずかしくなります。
こういった日本文化から学ぶことって多いし、心に刺さりますね。
日々の過ごし方、人への向き合い方、再度考えるきっかけになりました。
「茶道」について調べていくと流派だったり、作法だったりとまだまだ奥が深く、書く内容がたんまりとあるんですが、今回はこの辺で締めようと思います。
さらに奥の内容についてはまたの機会にもっと調べてから書きたいと思います。
最後に...
今まで「茶道」の対して、昔からの文化という概念はあっても、その意味まで考えたことはなく、美しいと感じることはありませんでした。
意味を知ることで、そのものの奥深さを知ることで、知識が増えることはもちろん、新たな感情が生まれること。久々に感じました。
また、調べるてまとめるということが大変だと感じた回です。(笑)
どんどん出てくる...
さらに深くなっていく...
全然終わらない...(笑)
となって、どこで区切りをつけるか悩みました。
調べる・書く・まとめるという行動が前回までよりもかなり難しく感じました。
これは私が調べることに対して興味を持ち始めたということなのかな。
今後はもう少し効率よく調べていけるよう試行錯誤していきたいと思います。
「十五夜のお月見」
10月に入ってもう1週間が過ぎました。
秋ということで今回は、「十五夜のお月見」について調べようと思います。
と、調べ始めたはいいものの、今年の「十五夜」ってもう過ぎているんですね。。。
「あ、10月10日だ!」と思ってこのテーマにしたのですが、全然違う風に覚えていたみたいです。
ちなみに、2021年の十五夜は9月21日だったそうです。
そもそも、旧暦の日付で考えるため、日付は毎年変わり、今とは約1か月ほど違うとのだとか。
なるほどなあと思いました。
「十五夜」「中秋の名月」
「十五夜」という言葉には毎月15日という意味と旧暦8月15日(中秋の名月)の意味があるそうです。
旧暦8月15日(中秋の名月)の意味のほうは、だんだんとお月見行事が広まり、十五夜といったら。。。とイメージが強まってついたのでしょうか?
また、別名「中秋の名月」とも言われますが、「中秋」とは秋の真ん中の日という意味。
旧暦では7月(初秋)、8月(仲秋)、9月(晩秋)を秋としていて、
その3か月の真ん中の日(=旧暦8月15日)のこと。
ちなみに、「仲秋の名月」になると「8月の名月」となるので、ちょっと意味が違うそうです。漢字って難しいですね。(笑)
月見文化はいつから?
そして、なぜお月見をするのか?
私の中では作物とかの収穫祈願や感謝の行事でお団子を食べる!という、ざっくりとした認識しかなかったのですが、調べると大まかには合っていました。
月見の文化は平安時代に中国から日本に伝わったと言われています。
この時代では貴族が月を眺めながらお酒を飲んだり、詩歌や管弦を楽しんだりしていたそうで、祈願の意味はあまりなく「月を愛で楽しむ」という、やんごとなき人々のやんごとなき文化だったようです。
祈願の意味がつき、お供え物をしたりするようになったのは室町時代以降と言われていて、また庶民にこの文化が広まったのは江戸時代に入ってからと言われています。
その頃には、収穫祭や初穂祭といった意味合いが強くなっており、作物の収穫に感謝し、今後の豊作を祈願していたそうです。
「十五夜」だけじゃない?
さらに、お月見の日って十五夜だけかと思っていたのですが、そうではなさそうです。
「十五夜」とは、芋類の収穫を祝う日なんだとか。。。
え、じゃあ他は。。。?と思ったら、
栗や豆の収穫を祝う「十三夜」(旧暦9月13日)
田の神様に感謝をする「十日夜(とおかんや)」(旧暦10月10日)
があり、これらの日もお月見をする風習があるそうです。
ここで10月10日がでてきてびっくりしました。
私はこの「十日夜」を「十五夜」だと思っていたようです。
祖父母が米農家だったからでしょうか?
「十三夜」は別名「豆名月」「栗名月」(栗や枝豆を供える)
とも言われているそうですが、それぞれお供え物からその名が来ているとのこと。
「十日夜」は稲の収穫を祝って餅つきをしたり、稲の茎を束ねたもので地面をたたき、田んぼに悪さをするモグラを追い払ったり、田んぼを見守ってくれたかかしに感謝のお供え物をしたりと他の2つとは少し違う風習だったようです。
収穫の時期に合わせ、芋の収穫を感謝し、栗・豆の収穫を感謝し、最後に稲の収穫も終わり「田の神さまが山に帰る日」と言われている「十日夜」に今年1年の収穫を感謝する。
そういう続き行事だったのでしょうか。
「十日夜」に関しては月見がメインではないようですが、「十五夜」しかお月見をしないことを「片見月」といい、縁起が悪いとされていたようです。
逆に「十五夜」「十三夜」「十日夜」すべて晴れてお月見ができると縁起がいいとされていたようです。
ちなみに、「十五夜」は終わってしまいましたが、2021年の「十三夜」「十日夜」はまだ来ていないので、晴れて月が見えるといいなと思います。
「十三夜」(旧暦9月13日):2021年10月18日
「十日夜」(旧暦10月10日):2021年11月14日(日)
お供え物は?
収穫した作物とともに、お団子やススキが供えられお月見がされたそうですが、お団子は月に見立て収穫を感謝し、お月見が終わった後に食べていたそうです。
え、お月見してるときに食べたい。。。と思ってしまったのですが、
確かに宴中、供えているものは食べないですよね。。
また、月見団子を食べると幸せと健康祈願にもなるそうです。
ススキは「月の神様の依り代」と考えられており、
「十五夜」「十三夜」は稲刈り前のため稲穂の代わりに似ているススキを用いたとされているそうです。
作物や子孫の繁栄を見守る意味や魔除けの意味もあるそうです。
調べてみて...
今はこういった行事を目にする機会がかなり減ったと思います。
私が知らないだけで農家さんとかは今でも続けているのでしょうか。
今は「十五夜のお月見」よりも「ハロウィン」という言葉を多く耳にします。
同じ収穫祭ではありますが、押し負けている感が否めないのは時代の流れでしょうか。
派手さ・華やかさなど現代で目を引くものがハロウィンにはあると思います。
ただ、ゆっくりとした時間の流れを楽しむのにはお月見はとてもいいなと思いました。
地域によって細かい風習の違いがあるようなので、
また別の時に、そういった違いなども調べてみたいと思います。
日本の人口、知っていますか?
まず初めは、基本情報から調べたいと思います。
基本的な情報っていったら。。。人口?
昔ニュージーランドでワーホリしてた時、聞かれても答えられなかった記憶があります。その時はあまり気にしてなかったのですが、今思うと本当に世間知らずだったんだなとちょっと恥ずかしくなります。。。
日本の人口は...
日本の総人口は令和3年9月の時点で、1億2,521万人だそうです。
(総務省統計局より)
と調べてはみましたが、これが多いのか少ないのか。。。
正直、数字だけ見てもあまりイメージができません。
「億」という数字は大きいとは思うのですが、
あ、こんなものなのか。。。と思ったりもしました。
ちなみに、
住んでいる千葉県:628万1,719人
首都 東京都:1,403万7,872人
大阪府:881万5,376人
(令和3年9月時点)
でした。
こういう風に都道府県別で人口を見てみると、案外すんなり、これくらいなんだと受け入れられます。こういう風に調べると総人口のイメージもついてきました。
いろんな都道府県の人口を調べたんですが、都内って相当人多いんですね。
この数字は何を意味するのでしょうか?
ただ、数のイメージはついてきたんですが、多いのか?少ないのか?
ニュースで人口は減少傾向にあるって言われていますが、ということは少ないっていうことなんでしょうか?
ちなみにどれくらい減ってきているのか?
統計局にいい資料がありました。
確かに、見るからに右肩下がりですね。。。
2011年からの情報ですが、数字で見ても減り続けていますね。
今年の9月時点で1億2,521万人なので、2011年から約250万人の減少。
10年で約250万人。
上に、千葉、東京、大阪の人口を記載しましたが、
1つの都道府県で人口250万人以上いるのは、たったの13都道府県でした。
(東京都、神奈川県、大阪府、愛知県、埼玉県、千葉県、兵庫県、北海道、福岡県、静岡県、茨城県、広島県、京都府 2021年4月時点)
極端な考え方ですが、1つの県の人口が10年で0になってしまった。
なくなってしまった。(消滅してしまった?)
そう考えると、この数字ってとても怖いなと感じました。
将来的にも減り続けていくと予想されていて、下の表を見ると30~40年後には1億人を切りそうですね。。。
その時には私はもうおばあちゃんですが、なんとも切ない気分になりました。
「少子高齢化」とずっと言われ続けていますが、上のグラフや下の資料を見ると、
かなり減っているんだなというのが明らかにわかります。
世界的にみると、10代20代が多いのに対し、日本で人口の多い年代は40代~70代。
(先進国といわれる国では同じように中間層以降が多い国がその他の国に比べて多かった気がします。)
一番多い40代と0~9歳の人数を比べると約半分です。
「少子高齢化」について今までざっくりとしか認識がなかったけれど、
今回人数をちゃんと見て初めて、本当に大変な問題なんだなと実感しました。
(今までどれだけ興味がなかったか。。。)
晩婚化や昔に比べて1世帯当たりの子供の人数の低下など背景には様々な理由があると思います。
ただ、政府で様々な対策・政策を考える理由がやっとわかった気がします。
かくいう私も独身なので、今後結婚して子供を産み育てるのかどうなのかと考えると正直わかりません。
ですが、将来的に国自体が危ういのでは?と思ったことは確かです。
反対に人口が増えている国、若い世代(10代20代)が多い国もあり、
”人口=国の繁栄”という考え方もあるので、そういう国は今後どういった変化をしていくのか楽しみでもあります。
外国人移住者の割合
国内的な人口のことに関していうと、
外国人移住者も昔に比べてかなり増えたなと感じます。
ですが、割合を見てみると案外こんなものなんだと感じました。
(2020年度の情報参照)
国籍別なので、完全に移住者と一致しているのかはわかりませんが。。。
もっといるかと思っていたのですが、割合でみると外国籍の方は1.4%。
(自国籍の人数から考えると計算が合わない。。。(笑))
統計局の資料には様々な国の国籍割合が掲載されていたのですが、他の国と比べてもかなり低い数値でした。
人口問題の解消には、異民族国家まではいかなくとももっと増えていく必要もあるのかなと感じるデータでした。
最後に世界の人口ランキングを見てみたのですが、日本はなんと、11位!!
案外上のほうにいるんですね。
1位~3位は中国、インド、アメリカでした。
これは想像通りだったかな。
調べてみて...
今回いろいろと調べてみて、
小さな島国で億を超える人口がいるというのは凄いことなのかもしれないけれど、
多いのか、少ないのかという最初に出てきた疑問に答えは出せないなと思いました。
数は一つの目安であって、それを見た人がその数字とどう向き合うのかが大切なのかもなと思いました。
今回、総務省統計局のデータを主に見ながら調べていきましたが、
他にも、「出生率」「死亡率」「平均寿命」「男女別人口」「年代別人口」「外国人移住者の割合」など様々なデータを取っていて、見ていてとても面白かったです。
調べれば今の時代すぐに答えが見つかるのに、調べようという気持ちがなければそういった行動もなく日々過ぎていくんですよね。
少しづつですがこういう風に知識を増やしていきたいと思います。