日本を知らない日本人

最近、興味を持ちはじめました。

名残惜しい -たゆたう波のように-

普段何気なく使っている言葉ですが、

漢字で書いたときに「あれ、なんでこの漢字使うんだろう?」と不思議に思うことがあります。

 

今までは「へぇ~こういう漢字使うんだ!」

で終わっていたのですが、ブログを書き始めた影響でしょうか

「なんでこの漢字を使うのか調べてみよう!」と思うようになりました。

 

ちょっと成長…?

 

今回は「名残惜しい」

 

「名残惜しい」の意味は?

別れがつらく、心残りのするさま。

過ぎ去る物事に心ひかれ、長くとどめたいという思い。また、別離がつらく心残りであるさま。

などなど。

少し後ろ髪引かれるような気持ち、とも例えられるでしょうか。

 

「名」と「残る」と「惜しい」

 

「惜しい」は失いたくないとか、残念だとか、もったいないというような意味ですよね。

では「名残」は?

なぜ「名」が「残る」で「なごり」なのでしょうか。

 

「名残」

という言葉の意味は

物事が過ぎ去った後にその影響や気配がまだ残っていたり、別れがつらく、心残りのするさまのことを言います。

 

この意味を考えると、「名残」だけで「名残惜しい」という言葉の意味をほとんど表しているんですね。

 

 

波残り、なみのこり

「名残」の語源は「余波」だそうです。

波が打ち寄せた後に残る海水や海藻。

また、大きな波から小さな波へ。

その様を昔は「波」が「残り」で「なごり」と呼び、

今では「余波(よは)」と呼びますが、この字で「余波(なごり)」と呼んでいたそうです。

 

それがいつしか「名残」という字があてられるようになった。

 

当て字だったんですね。

しかも平安時代あたりからこの字が使われていたそうです。

平安時代というと和歌でラブレターのやり取りをしていた時代だったような…

文に書くのであれば確かに「余波」より「名残」の方が雰囲気がある気もします。

 

名前、名声、名目、名人、仮名などなど。

「名」がつく漢字は沢山ありますが、どれもその存在を表しているような言葉ですよね。

 

これは勝手な想像ですが、「名」という文字が連想させる「そこにある」という雰囲気が「なごり」という言葉の持つ意味にぴったり当てはまったということなのかなと思いました。

 

もしかしたら当時は新語・流行語だったかもしれませんね(笑)

ラブレターに書くのにぴったりですよね!

 

 

ひとつの文字でイメージを膨らませられる漢字の奥深さ、面白いですね。

その起源を知り、歴史を想像し、自分なりの解釈ですが今後もこうやって知識を深めていけたらいいなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

節分で魔物退散!!

気づいたら、1月もあと数日...

長かったような短かったような。

 

もうすぐ2月ということで、今回は「節分」について調べてみました。

 

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「節分」と言えば、

「鬼は~そと!、福は~うち!」って言って、2月3日に豆まきする厄除けの行事だったような...

年の数だけ豆を食べる。(たくさん食べた記憶が…)

恵方巻も食べる♡

そんな感じで食べ物のイベントのような認識のほうが強いかもしれません(笑)

 

行事として毎年やっていたので、大まかには合ってるんじゃないかなと思うのですが実際はどうなんでしょうか。

 

2月3日とはかぎらない?

知らなかったのですが、「節分」という言葉は文字通り「季ける」という意味もあるそうで、各季節の始まりの日(立春立夏立秋立冬)の前日のことを指すそうです。

現代では「立春の前日」のことを主に指しますが、もともとは春夏秋冬すべてに節分があるということですよね。

その中でも春は新年の始まりを表すことからだんだんと春を重視する流れになっていき、「立春の前日」のことを主に表すようになったのは室町時代や、江戸時代以降と言われています。(諸説あるようです)

 

その前の時代では夏・秋・冬も春と同じように豆まきをしていたんでしょうか。

それとも季節によって違うことをしていたんでしょうか。

ちょっと気になるところですが、調べるのに時間がかかりそうなので今回は「春の節分」に重きをおいて調べていきます。

 

また、「節分」は2月3日で固定されていると思っていたのですが、「立春」の前日なのでその年によって違うということですよね?

調べたところ、大体は2月3日だったのですが、2月4日や2月2日の年もありました。

ちなみに今年、2022年は2月3日です。

 

豆まきはなぜするの?

節分のメインイベントといえば、これ!

といっても過言ではない「豆まき」。

 

鬼のお面を付けた人に向かって豆を投げる。鬼だけじゃなく、家の中にもまく。

だいたいお父さんが鬼のお面付けてたなという記憶があるのですが、

大人になって冷静に考えると不思議な行事だなと思います。

お父さん、一家の大黒柱なのに(笑)(違う家庭もあるかもしれませんが)

でも、そうやってお父さんが鬼の役をやれるっていうのは平和な証拠なのかな、という気もします。

 

そもそも、なぜ豆を撒くのでしょうか?

 

この行事のもとになっているのが平安時代頃に行われていた「追儺(ついな)」と呼ばれる宮中行事。桃でできた弓と葦の矢を使い鬼を追い払っていたそうです。

もとは中国から伝わった悪霊を追い払う儀式。中国では戈(ほこ)と盾。

それが日本風にアレンジされ、また時代とともに少しずつ変化していったということでしょうか。

今やメインイベントの豆まきも追儺の儀式には含まれていなかったそうで、ここも時代とともに変わっていったんですね。

 

なぜ豆まきだったのかというと、

生活に欠かせない五穀(米、麦、ひえ、あわ、豆)の一つであったこと、

その五穀には穀霊が宿ると考えられていたこと、

また、「魔滅(まめ)」や「魔目(まめ)」という言葉の語呂合わせともいわれています。

 

鬼に豆(魔滅・魔目)を投げつけ、邪気を追い払い、一年の無業息災を願う。

 

言葉には力が宿ると言われていますが、「魔」を「滅する」。

思った以上に強めの意味が込められていたんですね。

 

遊び半分でやっていた豆まきがとても強力な儀式に思えてきました。

この漢字をイメージしながら豆まきしたり、豆を食べたりしたら本当に病気にならなそうだなと思ってしまうのは単純でしょうか。

 

ちなみに、豆は前日までに炒って使うまで神棚にお供えしておくといいそうです。

神棚がない場合は高いところに置いておけば大丈夫◎

 

掛け声も「鬼は外!福は内!」が一般的ですが、鬼を奉っている神社や、地名に「鬼」の字がついたり、また地域によって「鬼」の字の入った名字が多い地域とかもありますよね。そういった地域では「鬼も内」になったりしているそうです。

 

他にもいろいろある節分のイベント

その他で、節分と言えば「柊鰯」や「恵方巻」が思いつきます。

 

「柊鰯」は、焼いた鰯の臭気と煙を鬼が嫌い寄ってこないようにし、もし来たとしても柊の棘で鬼の目を刺すので中に入れないようにするという役割があるそうです。

(この逆説で匂いでおびき寄せ刺す!っていう説もあるそうです。)

 

毎年、これはあなたの分よっていうノルマがあって、苦い…と思いながら顔をしかめて食べていた思い出があります。

 

思い返してみると、こういった昔ながらの行事を子供のころはちゃんとやっていたんですね。両親に感謝です。

 

恵方巻はその年の歳徳神(歳神様)がいる方角(恵方)を向いて食べる太巻きのこと。

お願いごとをしながら、無言で一気に食べきれれば、願いが叶うという縁起物です。

具材は特に決まってはいないが、七福神にちなんで七種類がいいと言われているそうです。

今年、2022年の恵方は「北北西」です。

 

恵方巻は子供のころに食べた記憶がなく、大人になって食べ始めたなという印象なのですが、よくよく調べると商業的に始まったものなんですね。

 

大阪の方では江戸時代頃から行事の際、商売繁盛を願って太巻きを食べる文化があったそうですが、名前は恵方巻ではなく「太巻き寿司」とか「丸かぶり寿司」などと呼ばれていたそうです。

大阪の方でそういった文化があると知り、1989年に広島のコンビニで太巻きを売り出す際に付けた名前が「恵方巻」。これがきっかけとなって人気に火が付き2000年ごろには全国的に広まっていったそうです。

 

今ではどのスーパーでも、どのコンビニでもいろんな種類の恵方巻がたくさん売られていますよね。

節分に恵方巻は欠かせない!!という勢いで。

かなり昔からあるのかと思いきや、結構な近代に始まったイベントだったんですね。

 

なんというか、一つの文化が時代に合わせて変わっていくというのはこういうことなのかなと、人間の柔軟性を垣間見た気がします。

 

 

もうすぐ節分ということもあり調べてみましたが、面白い発見がいっぱいあって楽しかったです。

特に「魔滅」は衝撃的でした。(笑)

恵方巻が最近始まっていたことも。

ただ、最近始まっていたとしても、100年後に恵方巻を食べる人たちからすればこれも一つの歴史なんですよね。

そう考えるととてもおもしろいなと感じます。

 

今年はどんな節分を送ろうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つゆだく~つゆがだくだく~

寒い日にコタツに入っておでんを食べる...

なんて幸せな瞬間。(笑)

 

良い組み合わせですよね。

タツはみかんとかアイスとかもベストマッチしますね。

ただ、入ると出たくなさ過ぎて根っこが生えちゃうのがたまにキズです。

 

と、コタツのことを少し語ってしまいましたが、今日のテーマはコタツではないので話を戻しまして...

タツに入っておでんを食べながら、

「あ~つゆだくでうまいなあ~」と思って食べていましたが、なんで「つゆだく」って言うのでしょうか...?

ふと気になったので調べていきたいと思います。

 

よく使う食べ物と言ったら、牛丼とかおでんとか。

他に...ぱっと思いつかないですね。

 

「つゆだく」って?

「つゆ」は汁のことだけど、「だく」ってなんでしょう...?

 

ちなみに「つゆだく」は、

・牛丼屋の牛丼で具材の汁を多めに入れてもらうこと。

・つゆがだくだくの状態、あるいは、つゆ沢山の意味。

だそうです。

 

「つゆがだくだく」を略して「つゆだく」。

そしたら、「だくだく」は沢山という意味なのでしょうか。

 

「だくだく」

・汗や血などが続けてたくさん流れ出るさま。「汗がだくだく(と)流れる」

・胸がどきどきするさま。どきどき。

 

だそうです。

 

「つゆだく」では上の、

「血や汗などが続けてたくさん流れ出るさま」の方の意味で使われているそうです。

 

血や汗って考えるとちょっとイメージが変わりますが、

ただ、実際は「つゆ」なので「たくさん」というところがクローズアップされて使われているという感じでしょうか。

 

個人的には下の「どきどき」の方の意味でもおもしろいなと思ったのですが、ちょっと大げさになってしまいますね(笑)

 

他にも「たくさん」の「たく」が濁って「だく」という説などもあるそうです。

 

 

もともとは牛丼屋さんで店員さん同士で簡潔に伝えるために使われていた言葉だったそうです。

それがお客さんにも定着して、今や頼み方の一種になってますよね。

 

逆につゆ少なめの場合は「つゆ抜き」と言われるそうです。

そのままっちゃそのままですね。

 

「ねぎだく」や「肉だく」なんて言葉もあるそうです。

もうみんな、だくだくですね(笑)

 

 

雰囲気的に結構昔からある言葉なのかなと思っていましたが、1950年代頃かららしく、ということは昭和ですよね。

お客さんに定着したのは1990年代頃だそうで、意外と最近使われるようになった言葉なんですね。

 

 

最後に...

普段、あまり牛丼屋さんには行かないので、今回おでんを食べていて思ったことが牛丼の歴史を見ることに繋がるなんて、なんとも面白い発見でした。

本家の牛丼では「つゆだく」という言葉を使ったことがないので、次回(…いつだろう…)行った際は挑戦したいと思います。

 

 

 

 

七草粥~一年の健康を願って~

2022年

明けましておめでとうございます!

 

新年あけてから、もう1週間たちますね。

時間がたつのは早く、日常が戻ってきてあわただしく過ぎていきます。

 

年末年始は実家でみんなで好き焼きしたり、お煮しめ食べたり、お餅を食べたり、お餅を食べたり...

お餅メインだった気もしますが、

毎年恒例、ちょっと太ったかも...?というくらいの食べ正月でした。

 

そんな年末年始に酷使した胃腸を癒す「七草粥」。

...と思って食べていたのですが、実際のところはどうなんでしょう?

 

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七草粥

・一年の無病息災を願って1月7日に食べる。

・正月の祝膳や祝酒で弱った胃を休める為。

と、言われているそうです。

 

半分は当たっていたってところですかね。

 

1月7日のことを「人日(じんじつ)の節句」というそうなんですが、これは初めて知りました。

伝統的な年中行事を行う季節の節目となる日を「節句」といい、そのうちの5つが江戸時代に公的な行事&祝日とされていたそうです。

 

それが「5節句と言われる、

人日の節句...1月7日

・上巳(じょうし)の節句...3月3日(桃の節句、雛祭り)

端午の節句...5月5日(こどもの日)

・七夕(しちせき)の節句...7月7日(七夕)

重陽(ちょうよう)の節句...9月9日

 

3月3日って上巳っていうんですね。

今でも祝日として残っているのは、5月5日の端午の節句だけですね。

そして、9月9日は知らなかったです...

 

 

「人日」ってどういう意味なんでしょうか?

元は、古来中国の占いの風習からきているそうなんですが、元日から6日までそれぞれ動物を当てはめた占いが行われていたとか。

元日=鶏

1月2日=狗(犬)

1月3日=羊

1月4日=猪(豚)

1月5日=牛

1月6日=馬

 

さらに7日には、人を占っていたそうです。

なので人の日で「人日」でしょうかね。

 

それぞれの日にはそれぞれの動物を殺さないようにしたりと大切にしていたそうで、7日は人に対する刑罰を行わないというような風習もあったそうです。

 

また、この日に7種類の野菜の入った羹(あつもの)を食べ邪気を払い、一年間の無病息災を願う風習もあったとのことです。

 

これが日本に伝わったのが平安時代

一方、日本にも少し異なりますが「若菜摘み」という年始の風習があったそうです。

年の初めに芽を出し始めた草を摘み取り、新しい命をいただくこの風習と、中国から伝わった「人日」の風習が合わさって、1月7日に「七草粥」をいただくようになったと言われています。

 

そして、江戸時代に幕府公式の行事となり、民間にも広く知れ渡っていったそうです。

 

 

春の七草

セリ・ナズナゴギョウハコベラホトケノザスズナスズシロ

 

名前だけはなんとか知っていました(笑)

何かの呪文のように昔聞いた記憶があって、耳に残っています。

 

ただ、何の草なのか、実際に見てこれがそれだよ!って言えるかというと...さっぱりです。(--;)

言えたら、かっこいいですね!

また、それぞれの名前には意味があり、その意味も込めて、良い1年になりますようにと1月7日に食べていたのかなと思いました。

 

・セリ(芹)

“競り”勝つこと

ナズナ(薺)...ぺんぺん草

撫でて汚れをはらうこと

ゴギョウ(御形)...ハハコグサ(母子草)

仏さまのこと

ハコベラ繁縷)...はこべ(繁縷、蘩蔞

子孫繁栄

ホトケノザ(仏の座)...コオニタビラコ(小鬼田平子)

仏さまが安座していること

スズナ(菘)...カブ(七草粥に使うのは若菜)

神さまを呼ぶ鈴

スズシロ(蘿蔔)...大根(七草粥に使うのは若菜)

清らかで汚れのない純真さ

 

この意味を考えると、とてもありがたいお粥ですよね。

強力そう。

今でいうパワーフードですよね。

 

胃腸を休めるために食べるっていうのももちろんあるのですが、イメージがかなり変わりました。

むしろ、何かの勝負事の前に食べてもいいのではないかと思うような食べ物な気がしてきます(笑)

 

一般的にはこの「七草」ですが、地方によりそれぞれ異なった風習もあるようで、全く違う材料(ごぼう、にんじん、こんにゃく、豆腐etc...)を入れて作った七草粥を食べたり、はたまた全く違う名前の汁物を食べたり、7日ではなく15日とか16日に食べたりと様々なようです。

その土地ならではの風習がそれぞれあって面白いですね。

 

ちなみに、1月7日は「新年初めて爪を切るといい日」とも言われているそうです。

風邪をひかなくなるとか。いろんな言い伝えがありますね。

今年まだ爪を切っていなかったので、せっかくだし1月7日に切りたいと思います。

 

毎年の流れ作業のように、なあなあとしていたこの行事ですが、こうやって由来を知ることで今までとは少し違う気持ちで迎えられそうです。

無病息災を願い、胃を休めたいと思います。

 

 

 

 

 

勤労感謝の日 ~周りの人たちへありがとう、自分へありがとう~

明後日、11月23日。「勤労感謝の日」ですね。

 

今年最後の祝日です!

1年最後の祝日が11月なんですね~。

平成時代は天皇誕生日が12月だったので、しかもクリスマスシーズンだったので連休があるっていうイメージが強かったんですが、もう令和3年なのにまだ慣れない(笑)

コロナで休みが多かったのと、バタバタしていたからでしょうか。

 

あと、大晦日は祝日に含まれないんですね!

これは初めて知りました。(今更ですが...)

長期連休という形で学校も会社も休みになるので勝手に祝日なんだと思っていました。

まあ、大晦日のことは別途調べるとして、今回は「勤労感謝の日」について調べていきたいと思います。

 

勤労感謝の日とは?

今まで、文字のイメージから働いている人にむけての感謝の日なのかなと思っていましたが、内閣府のホームページに下記のように載っていたので、ちょっと意味合いが違うのかなと思いました。

 

勤労感謝の日:勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。

 

「生産を祝い」っていうところは昔の収穫祭っぽいイメージがあるなと感じました。

みんなで豊作を喜び互いに感謝しようというような感じですかね?

 

いつごろからある祝日なのかなと調べてみると、「勤労感謝の日」という名前になったのは戦後からですが、それ以前は「新嘗祭(にいなめさい)」という名前で古くから祭事が行われてきたそうです。

 

新嘗祭」とは、その年に収穫された新穀などを神様にお供えし、感謝の奉告を行い、また、これらの供え物を神からの賜りものとして自らも食する儀式のことで、飛鳥時代にはすでに行われていたそうです。

 

やっぱり元は収穫を祝う日だったんですね!

 

様々な収穫祭がある中で、「新嘗祭」が「勤労感謝の日」になったのは、穀物を奉りお祝いする儀式だったというのが関係しているのかなともちょっと思いました。

日本の主食はお米ですしね。

 

ただ現代の意味合いで考えると、収穫への感謝ももちろんですが、食物の収穫だけではなく他の生産物に関しても。

また、農家さんだけではなく、働いているすべての人。

この世界を作っているみんなで、今日こうやって過ごせていること、ご飯を食べれていること、大切な人たちと一緒に入れること。

すべてに感謝し合おうという意味なのかなと思いました。

 

ただの祝日って言ったらそれまでなんですが、せっかく「感謝」という言葉がついている日なので、まわりへの感謝、自分への感謝、そういったことを考えられる日にできたらいいなと思いました。

 

ちなみに...

「労働感謝の日」というのも戦後改名されるときに候補に挙がったそうです。

ただこれだと収穫の意味合いはなくなりますよね。

また、勝手なイメージですが軍隊っぽいなって思いました(笑)

 

新嘗祭」ですが、今も皇居では行われているそうです。

また、各地の神社でも祭事が行われたりするそうなので、足を運んで雰囲気を味わうのもいいのではないかと思います。

 

 

感謝を込めて「ありがとう」

日本人は「ありがとう」ってよく言うよねと昔言われたことがあります。

確かに、外国の方に比べて言う率は高いのかもしれないと当時は思いました。

と同様に「すみません(ごめんなさいの意味:sorry)」も言い過ぎだと言われた記憶があります。そんなに言わなくていいんだよと。(笑)

 

「すみません」はあまり言いすぎると自分の気持ちが下がるのもありますが、相手を少し不快な気持ちにさせてしまうのかもしれませんね。

英語圏での話なので日本の感覚とも少し違うかもしれませんが、確かに言い過ぎはよくないなと思って、ちょっと気を付けようと思いました。

 

「ありがとう」に関しては感謝の気持ちを表す言葉なので、たくさん言ってもいい気はするのですが、感覚的にありがたみがなくなるのかな...?どうなんでしょう?

 

と、まあ、前置きはさておき、

人に感謝をするとき、お礼を言う時、「ありがとう」という言葉を使いますが、なぜ「ありがとう」なんでしょうか?

 

他の言葉でもよかったのでは?

なーんて言い出したらきりがないですが、なぜ「ありがとう」という言葉が感謝を表す言葉になったのか。

今回はそれを調べていきたいと思います。

 

 

「ありがとう」漢字で書くと「有り難う」

普段、漢字で書いたりしないので、そういえばこういう字だったなとしみじみ思いました。

急に漢字で書いてって言われたら、あれっ?って一瞬考えてしまうと思います。(笑)

 

「有り難う」

「有り」と「難しい」を使うんですね。

 

語源は「存在することが難しい」つまり、「めったにない」「めずらしい」を意味する「有り難し」という言葉。

 

丁寧に言うと「ございます」を付けますよね。

「ございます」が続く言葉を「ウ音便化」し、「有り難うございます」となり、さらにそこから「ございます」が省略されて「有り難う」となったそうです。

 

少し脱線します。

「ウ音便化」

(って言われても...って思ってしまったのですが、私だけかな。)

言葉的に最後が「う」になることなのかなと思いましたが、半分合ってました。

最後に限らず、語中・語尾の音が発音の便宜にしたがって「う」の音に変化することだそうです。

他にも、イ音便・撥音便(んの音)・促音便(っの音)を合わせて「音便」というそうです。

 

話は戻りますが、

昔は「めったにない」「めずらしい」というそのままの意味で使われていたそうです。

 

枕草子の『ありがたきもの』ではそのままの意味で、下記のような例が挙げられていました。

・姑に思われる嫁

・主人のことを悪く言わない従者

・少しも癖のない人

などなど。

 

今と全然違った意味で使われているのを見るのも面白いですね。

現代語訳されている本やサイトも多数ありますので、気になった方は見てみるのもいいかもしれません。

 

いつから今の意味に?

「存在することが難しい」という意味が、なぜ今の「ありがとう」の意味になったのか。

 

今の意味で使われるようになったのは室町時代あたりからと言われているそうです。

それまでは「かたじけない」が今の「ありがとう」の意味だったとか。

「かたじけない」って武士が言っているイメージが強いんですが、やんごとなき方たちも使っていたんですね。

また、江戸時代は身分によって使い分けていたそうで、二つが並走している感じだったんですね。

 

仏教の教えが広がり、感謝の意で使われるようになったそうですが、初めは人への感謝というよりも、神や仏に感謝や感動を伝える言葉として使っていたそうです。

近代以降、今のように相手に感謝を伝えるときに使うようになっていったとのこと。

 

『盲亀浮木のたとえ(もうきふぼくのたとえ)』

感謝の意として使われるようになった仏教の教えで、『盲亀浮木のたとえ(もうきふぼくのたとえ)』というのがあります。

 

お釈迦様が、お弟子さんに人間として生まれてきたことの有り難さを説く例え話です。

 

大海の底に一匹の目の不自由な亀がいて、その亀が百年に一度、息を吸いに波の上に浮かび上がってくるのだそうだ。

ところがその大海に一本の浮木が流れていて、その木の真ん中に穴が一つ空いている。 百年に一度浮かびあがってくるこの亀が、ちょうどこの浮木の穴から頭を出すことがあるだろうか。

誰もが、あり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れない。

人間に生まれるということは、この例えよりも更にあり得ない。

とても有難いことなのだ。

 

 

人として生まれた時点で「ありがとう」は始まっているんですね。

ありえないことがもう起こっている。

 

この例え話を知るまで、そういう風に考えたことがなかったのですが、

もし自分が草として生まれてきていたら、ミドリムシとして生まれてきていたら、魚として生まれてきていたら、他にも哺乳類や鳥類などなどいろいろあるし、それぞれの生き方があるんだと思いますが、こんなにも文明にとんだ文化を生きることはなかっただろうし、こんなにも悩んだり、喜んだり、感情豊かな人生を送ることはなかったのかもしれないと思うと本当にそれだけで「有り難い」んですね。

 

こんな世の中だし、悩みも絶えない、なんで生きてるんだろうとか思うこともあります。(そんなこと言いたくないですが)

すでにありえないくらいの幸せが起こっていることへの感謝を忘れて、今を生きることで精一杯になっている。

「ありがとう」という言葉は幸せはもう起こっているんだよということを思い出させてくれる言葉でもあったんですね。

 

 

当たり前じゃない。

「ありがとう」の反対語「当たり前」。

意味を知った今はすっと理解できますね。

当たり前のことじゃないんだと。

当たり前って思っていたら、確かに「ありがとう」という言葉は出てこないですよね。

 

人に何かしてもらうことも、今すごく便利に生活できてることも、人間として生きてることですら。

普段、当たり前って思っていたことも、見方を変えてみたらまた違った感覚になるのかもしれません。

 

 

最後に。

今まで「ありがとう」という言葉を作業のように言っている時とかもあったのですが、今後はひとつひとつ丁寧に伝えていきたいなと思いました。

忙しいとどうしても乱雑になってしまったりとか、ただの返事になってしまってるときとか、意味を知った今思うと、もったいなかったなと思います。

 

『盲亀浮木のたとえ(もうきふぼくのたとえ)』もそうですが、昔の教えって核の部分をついているものが本当に多いなと感じます。

時代の変化ですたれてしまうこともありますが、こういう教えこそ今の社会には必要なんじゃないかなとも思いました。

 

まずは自分から。

感謝の気持ちをちゃんと込めて伝えていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文化の日、何をしましたか?

先日、11月3日。「文化の日」でしたね!

 

私は「あー、そういえば今日祝日だ!」と当日になって思い出しました。

土日が休みというわけではないので、曜日感覚とか、祝日とかどうも疎くなってしまいます...

 

毎年、文化勲章の授与式がこの日にありますよね。

私の中の「文化の日」はそれくらいの知識しかありません。

文化勲章の授与式もニュースで見るくらいの情報なので、あまり知っているとも言えないのですが...

 

そもそも「文化の日」の文化って何の文化なのでしょうか?

...日本文化?

 

文化勲章を受章した方々を見ていると、すごい多岐にわたるというか、様々な業種・職種の方たちが受賞されているので、多岐にわたる業種の中ですばらしい功績を残した方とか、国の発展に携わった方とかなのかなとも思います。

 

ということで、今回は文化の日を調べていきます!

 

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文化の日」とは

文化の日」とは1946年に日本国憲法の公布を記念して制定された祝日だそうです。

(※実際に「文化の日」という祝日が制定されたのは1948年に今の祝日法が施行されてから)

 

ここで、あれ?と思ったのですが、「憲法記念日(5月3日)」もありますよね。

 

日本国憲法が公布されたのが11月3日(文化の日

日本国憲法が施行されたのが5月3日(憲法記念日

だそうです。

 

憲法は公布されてから半年後に施行だったんですね。

 

なぜ公布された日が憲法記念日にならなかったのか...?

先なのに...

 

これは現在の祝日法終戦後約7年間、GHQの指揮下のもとにあったときにできたものだからというのも一つの理由かなと思います。

当時、11月3日を「憲法記念日」にしようという声もあったそうなのですが、GHQからの反対をうけ、施行された5月3日が「憲法記念日」となったそうです。

 

 

なぜNGだったのか?

11月3日がなぜNGだったのか?

諸説あるようですが、明治天皇の誕生日だからというのが調べていてなんとなくしっくりきました。

もともと昔の祝日法(?)では「明治節」という祝日だったそうです。

明治節・・・明治天皇の誕生日)

 

明治維新や、一気に近代化を進めた明治天皇の功績は海外にも広く知れ渡っていたようで、また国内でも国力を伸長させた英明な天皇と謡われた偉大(神的?)な存在でもあったため、その存在を思い起こさせないようにしたかったのではないかなと思います。

 

ではなぜ、11月3日が祝日として残っているのか?

本当のところはわかりませんが、日本側の「祝日としてどうしても残したい...!!」という思いが勝った結果というところでしょうか。

別の名前で祝日とすることで折り合いがついたそうです。

 

憲法において戦争放棄という宣言をした重大な日。

国際的にも文化的意義を持つ重要な日。

平和を図り、文化を進めるという意味で「文化の日」となったそうです。

 

内閣府のホームページには下記のようにありました。

文化の日・・・自由と平和を愛し、文化をすすめる。

 

 

文化の日」ってこういう日だったんですね。

ここまで調べてきて、大河ドラマを見ているような気分になりました(笑)

壮大な人間ドラマが駆け巡っていくようで、祝日ひとつをとっても、こんなに歴史があるんだと、感嘆のため息がでる気持ちでした。

 

 

どんなふうに過ごしていますか?

今まで特になにも考えずに過ごしてきましたが、

みなさんはどんな風にこの日を過ごしていますか?

 

文化の日」ということで、各地で様々なイベントが行われたり、美術館や博物館など入場料が無料になるところも多々あるそうです。

ありがたいですね!

 

そういった一覧をまとめてくれているブログも多々ありました。

今年はもう過ぎてしまいましたが、来年はどこかに行ってみたいなと思います。

 

普段、触れていない文化に触れてみるいい機会でもありますね。

やってみたかったこと、行ってみたかったところ、一歩を踏み出すいいきっかけなのかもしれません。

 

また年末まで約2か月ということもあり、今まで自分がやってきたことを振り返ってみるいいタイミングでもあるかなと思います。

 

 

毎回調べていて思うのですが、ひとつひとつが奥が深くて本当におもしろいなと。

もっと早くに気づいていたかった(笑)